遠慮と罪悪感。

「遠慮」という言葉には、

江戸時代に武士・僧侶などに科せられた

刑罰の一つ。(外出を制限するもの)

 

という意味があるらしい。

 

刑罰ですって!

 

そんな語源を持つくらい、

遠慮することには

自分を罰する意識、意味合いが

あるんだな。

 

 

今日は、

人に何か頼み事をするときや、

何かしてもらうときに

遠慮する気持ち、

申し訳ないなと思う罪悪感が

あることに気がついて。

 

 

特に、自分がやりたい!と

言い出したことについては、

やりたいと言ったからには

それにまつわること、

準備や手配の諸々を含む全てを

自分がやることが当然だと思っていて、

 

誰かにお願いすることに、

させてしまっている

という気持ちがあった。

 

 

それに、

自分がやりたいことをやる時間を

作ったことによって、

掃除や洗濯、料理など、身の回りのことを

する時間が少なくなったとしても、

自分のことを自分でするのは

当たり前のことだから、

誰かにしてもらうのは申し訳ない。

 

と、さえ、

どこか思っていたところがあった。

 

 

こうして、

どんどんやることが膨れ上がっていって、

ゆっくりな私のペースでは追いつかない!!

と、なるのがよくやるパターン。

 

 

追いつかないのではなくて、

そもそも自分のキャパに見合ってないんだ。

 

 

全部一人ではできないから、

共同生活してるのにね🤣

 

その点は、

早急に見直しが必要である。

 

 

 

そして「罪悪感」とは、

悪いこと、非難されるべきことを

おかしたという気持ち。

 

 

人から非難される前に、

先回りして自分を非難しておくことで

本当に非難された時のダメージを

軽減するため、

 

人から傷つけられないように

自分を守るための

気持ちだと思う。

 

遠慮して頼むくらいなら、

堂々と頼んで断られよう✨

 

傷つかないように

予防線はってます!と、

笑って言えるくらい、

ビビリであることもさらけ出しつつ、

断られる・嫌われる勇気を持つことが

自分の身を助くにつながることを

見せてもらえた今日でした。

 

 

勝手に思いこんで、

勝手に怖がって、

抱え込み、怒りになっていく。

わたしの癖。

 

あ〜こわ!!

 

友達しているみなさん、

ご注意あれ!笑

 

明日からは

お願い魔に転身です🌈

 

 

どうして自分を責めるんですか? 他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだからいいじゃないですか。

アルベルト・アインシュタイン

ほんまや!

 

 

🌿こんな私が仲間と共に生きるコミュニティ

 「一般社団法人Sango」

 

🌿宿をつくり、営むことも

 私たちの暮らしの一部

 「やんばるの宿 ゆい」

 

🌿食べることも自分を知り、つくること。

 それを目一杯楽しむ私たちのお台所

 「発酵おうちごはん かりぃ」

https://www.instagram.com/family.yaaninju.karii/