からだの痛みと恐怖

今日は朝からからだが痛かった日。

 

だんだんとからだが重たくなって、

動けなくなるにつれて、

イライラしだす私。笑

 

 

イライラの中に、

 

 動けなくなる

= 自由がなくなる

= 妨害されている

 

を見ている自分に気がついて、

 

出たー!このパターン!

またやっちまったぜ〜と

自分を笑ったら、

今日はその奥が見えたのです。

 

 

ひとの思い、

とりわけ、緊張による力みや圧、

テンポの速さがあるものが

言葉や音として感じられる時、

(それが見えても、見えなくても)

それは私のからだを刺す痛い情報で、

その痛みは、私から自由を奪う

恐怖となっていました。

 

そして、怖さから自分を守ろうとする故に怒る。

 

 

その怒りも、どう表現していいかわからず、

感情のままに言葉を投げるも、

倍返しにあったり、笑

 

返り討ちにあってからは、

私怒ってるんです、察してくださいね、と

機嫌の悪さを撒き散らしながら、

鉄壁の心のシャッターを下ろして

自分の殻にこもり、沈黙という名の攻撃体制をとることがほとんどでした。

 

改めて見ても、

どちらも方法もコミュ障すぎる!😂

 

 

このお怒りパターン、【妨害】

これまた最近、

私の気づきとして話をしたばかりの

イムリーなもので。

 

過去の母への怒りそのもの。

 

 

それに気がつき、

 

実際に発している人の言葉だけでなくて、

人の「情報」を音として感じる時があり、

聴覚として聞こえる音も、

聞こえない音も、

音にのって伝わってくるものが

大きすぎたり(私の感覚で、ですが)

圧を感じるとき、

それは痛いし、こわい。

と感じる私がいる。

 

と、自分の理解が

初めて言葉にまとまりました✨

 

 

それに加え、

痛いも、怖いも、

正直に、ていねいに、

そして軽やかに伝える、

という方法があることを知っている。

 

それは私を自由にするし、

私の自由は、相手の自由もゆるすことに

つながる。

 

 

これは今書きながら、思えたこと。

 

 

それがとても嬉しかった今日の日に

感謝をこめて💖

 

ありがとうございます😊