目の前の人、
つまりは自分の鑑に対して
微塵の抵抗も拒否も評価もなく、
そうなんだね〜と言えない
自分が出てきた昨日と今日。
昨日読んだ遺伝子易経25番の
天の才は「受容」で、
言葉の意味を改めて調べてみたら、
批判したり評価をしたりせず、そのまま、ありのまま受け止めること
という言葉に出会った。
なるほど、そうか!
聞く耳はもてるようになってきたけれど、
ジャッジや評価をしながら
聞いていたんだ!!
(表向きは、受け入れてる風。笑)
エピソード書くより先に書いちゃうけれど、
昨日の病院でも、はじめは
先生の言葉の意図がわからず、
自分の言葉も伝わっていないような
ところがありましたが、
諦めてなるものかと
あれこれ言葉を変えて尋ねてみたり、
伝え直してみたりすると、
そうか!先生はこんな考えを持っておられるんだ
と、理解に及んだ瞬間があって。
そこからは、あっさりと
話が進んだのですが、
噛み合うまでは
どうしてそんなこと言うんだろう?
=そんなこと言わないでくれよ
と、感じていて、
とても批判的!笑
批判や評価をしたり、
そうでないとならない、があるのは、
そうでなかったときに
認められないことが怖い、
そんな恐れが根っこにあるのです。
被害者意識と
承認欲求のコラボを拗らせたやつ😂
この恐れから目を逸らして
恐れを感じるということをせずに、
〜でなくてはならない、で
自分をがんじがらめにしていくのが
束縛というやつなんや!
いまさらだけど、
これ、思い当たる節が
とてもあった!!!😂
わたし悪くありませんけど😕
という闇のまりえが顔を出したときは、
まずは、
認めてもらえないんじゃないかと
こわかったね〜 と、
自分の恐怖に寄り添い、
認められたい、が強い、
愛着障害だねー
と笑ってあげよう✨
そのまんまでまる💮
気づきに感謝🌈🌈🌈
ブログの内容とは全く関連がないけれど、笑
なかさんの作ったキッチンカウンターが素敵すぎて🤩
載せずにはいられませんでした!
内装は完成間近✨もうすぐお引越しです〜