ハートをもとに生きる

昨日は書きかけのまま、

眠気で撃沈💤

 

それくらい、

子供のように遊び疲れるまで

遊んだー!という日でした😆

 

 

今日は、

一昨日のブログに書いた、

ここ数日感じていること、

受け取ったことが

また実感としてあって。

 

 

何かをやっている最中に、

やりかけを置いたまま

別のことを急にやり始め、

その別のことも急に終わって、

また次のことが始まる、

ということがいくつか続いたあとに

最初に戻ってきて、

それぞれに終わっていく

 

ということをよくやるのだけれど、

 

1日の中でそれぞれが完結することもあれば、

日を跨いで終わることもあり、

それが何ヶ月もかかることもある。

 

終わりまでの予定を

特に意識していないものがほとんどだから、

いつ始まって、

いつ終わるか、

私にもわからない。笑

 

終わったときが、終わり。

ただそれだけ。

 

こんなふうに、

側から見れば、珍妙に見える私の行動も

そうだし、

 

気がついたときに

気がついた人が

やれることをやる、ことも、

 

予定とは違うことが起きたり、

失敗ばかりすることも、そう。

 

 

何かに合わせるでなく、

既に合っていること、

そうしようとしなくても、

やっていることが既に

大きな連続した

ひとつながりの流れの中で、

 

最適なタイミングで、

最適なことがおこっている。

 

すべてのピースが

最適な場所にはまっている。

 

全体と同調している。

 

 

特筆した何かがあってというわけでは

ないので、感覚的な話にはなるが、

日々の出来事の中から

そんなことを感じていました。

 

 

遺伝子易経46番にある、

雨乞い師のおじいさんの話が思い出されて、

改めて読んでみた💡

 

私の【輝き】の位置にある番号。

 

歓喜に満ちたおおらかな態度で自由に人生を歩む時、何が起ころうとそれは正しい出来事です。その時点でなぜそれが正しいことなのかを理解できるか否かは、重要ではありません。成功とは、後になって初めて明らかに理解できるものです。

 

共時性に踏み入る、ただ一つの前提条件は歓喜です。つまり、予測不可能なものにハートを開き、人生の自然な流れに干渉するのを止め、自分ではコントロールを声出して力を信頼する必要があるということです。

 

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こんなメモまで書いてあった!!

 

いかに腑に落ちてなかったか、

ですね😂

 

 

最後にこの言葉と再会したことが、

とても嬉しい✨

 

体の恍惚的な本質と同調する能力は、いかに思考を手放し、ハートを開くことができるかにかかっています。それはその人間がどれだけこの体と生きるという経験を授かったことに対し感謝しているかにかかっています。人生において一度でもこの恍惚感を経験したことがあれば、それを再現することは可能です。例え経験したことがなかったとしても、その経験に対して自らを開くことができます。それは今この瞬間、この本を読んでいるあなたの中にも存在しています。それはいつても人間の内側に存在し、心臓の心室の中で静かに待っています。ただそれを自らの人生に呼び戻しさえすれば良いのです。

 

もう一度読み直してから、

おやすみしよう!

 

今日も楽しかった❣️

 

感謝をこめて🌈

 

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